愛は青よりいでし

僕は感受性がどちらかというと豊かだと思っていた。
感動を誘う名場面にはまんまと引っかかるし、悲しい話には簡単に同情を覚える。

でも、それだけだ。
いくら心が揺れ動こうと、うんともすんとも声が出なければ文字として残す印象も残らない。

ありきたりな言葉、誰でも言える言葉。
模範解答たりえる無難な言葉、無味無臭の形が残らない言葉。
感情的に何かを書こうとしても、僕の脳内の電極は何もない均等化された駄文へと自動変換をする。

僕は想像力の欠如が憎い。
感情を表現するのが苦手だ。
主観的にしか物事を捉えられなくて悔しい。
何をしてもだめだ。

極論を言ってしまえばの話。
拙い文章力であっても、感情的に文字を起こせるのであれば素晴らしい才能だと思う。
もし、そうであるならば”今日あったできごと”の小さなことですら形に残すことができる。
ありきたりな日記のような日々の感想は僕にはかけない。
“今思っていること”をアウトプットすることで自己表現をしたいんだろうなあ。

自己表現の仕方にも色々とある。
一番大きな分岐点は他人の目を気にするかしないかという点だ。

他人の目を気にした上で、どういう風に見られたいかという自分を想像してそれに似通わせる表現。
自我がはっきりとしていて、自分が本当にやりたいと思っていることを忠実に行う表現。
認められるか認められないか、イドなのかスーパーエゴなのか。
方法と手段は違えど、目的は一緒だ。

僕は後者だが、本当にやりたいことではなく、”やれたらいいな”の段階で止まっている。
自分を自分らしくさせるためにはどうすればいいのだろうか。
そんな悩みの中でひたすらコーラ味のグミを噛んでいる。

この世の中の仕組みというのは不思議なもので、何か変革を伴うためには必ずといっていいほど痛みが生じることになっている。
昆虫の一生で例えるとすると人が変わろうと思い立ったときがサナギへと蛹化するタイミングだ。
サナギになりきれずに、虫に逆戻りして一生そのままかもしれない。
あまつさえ、死んでしまう可能性もゼロではない。
変わろうと思い立って行動をした時に続けられるかが大事だ。

上手に孵化できるといいな。



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