【うさぎなのに本を読む】夜と霧 新板/ヴィクトール・E・フランクル(訳・池田香代子)

世界の文明を急激な速度で発展させた20世紀、工業化と戦争がその中核を担っていた。
今回の作品の舞台となる国もその点では文明の発展に大きく関与している。

ドイツは第一次世界大戦を経て、1931年にナチ党が権力掌握した。
ナチ党は「ナチズム」と呼ばれる思想、つまり民族社会主義という選民思想を国家イデオロギーとして国民へと浸透させていった。
それは、自党の思想にそぐわないものを次々と淘汰する施策に繋がった。

金髪碧眼のコーカソイドが世界で最も優れている人種とされた選民思想の風潮は、後に全世界へ影響を起こす歴史上の出来事へと変容する。
本記事の中でナチ党支配下の1933年~1945年の間は広義的な「ドイツ」ではなく、「ナチス・ドイツ」と呼ぶことにする。

ナチス・ドイツと聞いて何を想起するかと尋ねると、大抵は「ホロコースト」が代表として挙げられると思う。
今回紹介する作品『夜と霧』はギリシャ語で「全てを燃やし尽くす」の意味を持つホロコーストについてのものである。
クセノフォンの『アナバシス』が”ホロコースト”という単語を使った初めての文献だと言われているが、当時は宗教的な意味合いでしか用いられることはなかった。
聖書の英訳によってホロコーストは一般的な単語となり、第二次世界大戦の際には既に例の迫害・虐殺の政策の意味として使われるようになっていった。
原文のタイトルを直訳すると『それでも人生に然りと言う: ある心理学者、強制収容所を体験する』というものだが、日本語化される過程で『夜と霧』へとタイトルが変わった。

一般的なホロコーストの認識としては”ユダヤ人の殲滅、大量虐殺”と捉えている人が多いが、ナチス・ドイツの思想に反する自国民でさえも同じように淘汰され、で苦しんでいたという事実が存在する。
ソーシャルダーウィニズムに基づく優生学的思想はナチス・ドイツが成立する以前より根付いており、例えば第一次世界大戦後の1920年には法学者と精神科医によって『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』という本が出ている。
ホロコーストが行われた背景として、選民思想以前に劣等の断種思想というものが深く起因しているものと考えられる。

迫害されたユダヤ人は、過去の体験を亡き者としないためにホロコースト文学を後世に残した。
ホロコーストという事実を過剰に表現した”売り物”に仕上げて、これがお金稼ぎが上手いユダヤ人の本質だと批判的する者もある少なからずはいる。
過去にあった事実として認識することは簡単だが、その内側を見つめることは難しい。

本書ではその内側には何が起こったかという事実をオーストラリアで生まれたユダヤ人の心理学者という立場から分析している。
悲惨な歴史を告発する文書というよりは一人の心理学者が綴った手記という印象が強い。
客観的に戦史を語る書籍は海千山千だが、実体験した本人が記したという点で他のものよりも高い次元で捉えられている。
一概に真実とは断定できないような内容であることは否めないが、ノンフィクション作品として出版されているので文面は”事実である”として軽く紹介したいと思う。

「119104」という数字を与えられた心理学者のヴィクトール・E・フランクルは、自分の立場で何を残せるかを考えた結果、収容所内での出来事を記した。
最初に数字が登場して以降、彼が番号で呼ばれることはなかった。
それは一人称視点で他人を観察しているためだ。
収容者はどのような反応をし、感情が死に、肉体的な死に至るかということを。

いずれは助けられるだろうと入所当初に収容者が楽観的に抱えていた希望は時間をかけてゆっくりと打ち砕かれることになる。
過酷な環境下は肉体も精神を摩耗させ、ナチス・ドイツはひたすらに劣等の破滅だけを待ち望んでいた。

極限状態の収容者は「生きる」ことだけを目的として日々の苦痛を耐えていた。
その中でも、肉体的なものよりも精神的なそれのほうが辛かったと語っている。
看守は収容者のことを人間とは見ておらず、「家畜」またはそれ以下の使い捨ての道具としか見ていなかった。
存在を否定されることで、生きる意味を見失うほかなく、為す術もなかったためだ。

同じ収容所にいるはずなのに、看守と収容者での扱いは天地ほど違った。
登場人物の中には善の収容者もいれば悪の収容者がおり、看守もまた然りである。
ただし、いずれも負の感情でのみ当時を生きていたということを覚えた。

最初、解放されるまではと耐え忍んでいた人たちは、収容されてから一年が過ぎてクリスマスを通り過ごした翌年の1月に大量の人たちが死んでいったという話が衝撃的だった。
収容者の中にはクリスマスまでには救いが訪れるだろうと勝手に解釈している人たちがいた。
その人達たちは年を明けることでその一縷の望みが完全に果て、絶望の中で亡くなったという。

“人間とは何だろう、生きるとは何だろう”という普段生活している中では考える暇もない問題が浮き彫りになる。
作中でドストエフスキー、ニーチェ、スピノザ等の言葉を借りて人生の意味や苦悩について考察し、”生きることで何かを期待するのではなく、生きることが何かを期待する”と人生について答える。

感情が徐々に死んでいき自暴自棄になる中で、日没の落陽に感動する人間らしさを残していたり、外国に住んでいる家族を偲んで必死に生きる様は人間の本質的な強さを教えてくれる。

最後に、「人生は歯医者の椅子に座っている様な物だ。これからが本番と思っている内に終ってしまう」と本作品から一文を借りる。
生きる目的を自分なりに考えて、そのためにはどうすればよいのかを考えさせてくれる名著だと感じた。


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読書感想文は子供の頃はあまり好きではなかった。
無限に感じられたページの内容を限られた文字数で感想でまとめなければいけないからだ。
僕は学生ながらにハードルの高さを感じていたが、大人になった今はその楽しさを感じられるようになった。
本を「読む」だけで満足し余韻に浸るということも悪くはないが、アウトプットするために「使う」ことでもう一度楽しむことができると気づいた。
そのために僕は書き残す。



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