喪失虚無、開闢光明

今日の運勢や手相の結果、今年の一年はこんな一年になりますよ!などという診断が跋扈している現代社会。
世界でも指折りで治安が良いと言われているこの日本で、僕は未だそれを信じられないでいる。

そして、大切なものほどすぐに失ってしまう僕の悪い癖は今後も一生付き合っていかなければいけないのかもしれない。

紆余曲折はあれど順風に道を進んできた僕はどこで道から逸れたのだろうか、それとも我が道を征く直進街道でいつのまにか人生のレールから外れてしまったのだろうか。

平凡を繰り返す日々が正解かと言われれば模範解答ではあるものの、それを享受することは正しいことなのだろうか。
否、一度きりの人生ならば大きな花火を打ち上げて綺麗に散るべきである。

土を掘って墓を作り、それに土をかけて最初の状態に戻すことを永遠と続けることが最高の拷問と言われている。
ニーチェの永劫回帰の思想を借りて考えてみよう。

噛み砕いた上で要約をすると、輪廻転生の概念とは異なり、超人的な意志を基に同じ瞬間を寸分違わず経験し、今と全く同じ人生を繰り返すことを指す。

アニメが大好きだからと言っても同じ作品、同じ話数のものを永遠と見て楽しめるだろうか。
最初の数回ぐらいは楽しめるが、そろそろ次の話が見たいと思うはず。
これが輪廻転生的思想。

しかし、残酷なもので新しい物語は紡がれず、見飽きた風景や聞き慣れた台詞が僕の五感に伝わる。
アニメの世界は既に初めから終わりまでが全て決まっている。

中には一生が終わるその時まで何度見続けても飽きない作品もきっとあるはず。

また、これを人生に当てはめてみよう。

前述のレールに敷かれた人生を繰り返したいだろうか。
果たして僕は滑車を回り続けるハムスターでいたいのだろうか。

永劫回帰やニヒリズムなるものは決してネガティブなものではない。
何度繰り返しても楽しめる、必死の苦労をしたが最高の一時を迎える達成感には変えられず、そのためには頑張れる。
どうせ生きるならそういう生き方をしようという道を示している思想なのだ。

つまるところ、僕は自分からレールを降りたのだろう。
何度繰り返しても楽しい!と思える人生を迎えたかったから。

そんな僕は最近のことだが、何度も繰り返したくない事実に直面している。

10月25日。
世の中の一般的な会社員は給料日は25日と言われており、僕も洩れずにその中のひとりでいた。

その一週間もしないうちに一生大事にしようと思って財布を購入した。
最近は耳にしないが、給料三ヶ月分の指輪なんて悍ましい言葉がある。
生活費や家賃、交遊費や雑費なんてものを差し引くと給料三ヶ月分というのは貯まるまで1年はかかる。
そして、僕は給料一ヶ月分の財布を買った。

11月5日。
僕はとある所用で東京から名古屋を跨いで踵を置いていた。
最高の瞬間、最高の仲間たち、最高の思い出を刻むことはできた。
その時までは。

帰宅後に出社して違和感に気づいた。
僕の大切なものはどこに行ってしまったんだろう。
どうせ、いつものように家に置いてきたのだろうと楽観していた。

家に帰っても探し物は見つからなかった。
警察に届け出を出し、各種交通機関にも問い合わせをしたが回答は僕を悲しませる内容だった。

僕は、マイナスをゼロに戻すために躍起になった。
多くの人の好意によって、それは良い兆しへと傾いていった。

このことが無ければ知り合わなかっただろうという人もいれば、体験もしなかっただろうなという実りもあった。
僕は人間の温かみを再確認し、今まで築いてきたものは間違いではなかったのだと悟ることができた。
失った代償は大きいが、得たものはお金には変えられないものばかりだった。

しかし、人は学習しない生き物である。
二度あることは三度あるという諺は本当によく出来ている。

このコンテクストから結果はお察しのとおりだが、僕は11月のうちにまた財布を落とした。
きっと再発行したクレジットカードやキャッシュカード、公的な身分証明書等は知らない誰かの手元に渡ったのだろう。
束の間の平穏だったが、いい夢を見させてくれてありがとう。

馬鹿は死んでも治らないという言葉がある。
僕はどうにかして死ぬ前までに馬鹿を治したい。

来年の目標にしよう。



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