基礎から学べ

ただの掃き溜めと化しているこの場所は誰にも見つかることがなく陳腐化されているということに気づいた。
現実世界では新しい可能性に出会い、選択肢も増えていっていると思いたいがそこまで甘くないものである。

自分の思想をアウトプットするには余白が少なすぎたのかもしれない。
否、140文字ですら僕に余りすぎるぐらいの感受性において無尽蔵の海は深く怖い。
気持ちの着地点を無理やりに認めようと思う。

最近は学びの機会が多いが、インプットした段階で主観化しており、自分の中の解釈に留まることに過ぎない。
なぜ抽象的な思考を構造化できないのか、言語化さえも覚束ないのかという疑問に対しては明確な回答を残す自負がある。
土台となるべくして打ち付けられた基礎が固まっていない故だ。

山月記のように、いずれ僕は驕りで道を誤ることが容易に見えている。
少なくとも完璧に理解し、他人に講釈垂れることができてこそ人の基礎は固まるのだ。

セメントや砂利を水で混ぜ、形を作って流せば、時間とともに硬くなるほど知識は甘くない。
絶対に敵うことのないレベルの天才はロックバランシングのような精細な組み立てでも成り立つかもしれない。

僕はただの凡人であり、あまつさえ目標を定めて到達をした経験すらもない。
年齢相応の社会経験も、一般人が時間をかけて得た知識も何もかもが虚無に等しい。

故に務める。
学びは思考であり、思考を止めた時点で人というステージから離れる。

右手に武器を持つしか選択肢のない僕の理論武装は脆く、一度防がれた時点で全てが崩れる。
ある程度のことを取り繕える程度の詭弁は兼ね備えていても、本質的な意味を指せるほど究めた分野は存在しない。

きっと守らなければいけない日がでてくる。



この記事が面白くなかったらツイートで不満を言ってね